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しんぱい シンシン どうなった?

こどものせかい 2009年9月号

加藤潤子・絵と文 至光社

心配屋さんのうさぎのシンシンとやんちゃっこ猫のチャチャの1日のお話し。
いつも隠れてばかりいるシンシンをみつけたチャチャは、かくれんぼしてあそびはじめます。シンシンはあっちこっちいってしまうチャチャが心配になって…野原の花、木を実を食べる鳥たちと出会いながら、シンシンとチャチャがいっしょに過ごす1日を描いています。

聖書 マタイ6:26-34より

絵本「しんぱい シンシン どうなった?」 至光社こどものせかい 2009年9月号
にじのひろば - 2009年9月掲載
絵本「しんぱい シンシン どうなった?」 至光社こどものせかい 2009年9月号

 「あすのための心配は無用です。」の聖書のみことばは、数年前に母が倒れた時にであいました。
今日のことだけ、神様は私にあたえている。今日のことだけなら私は精一杯すごすことができました!私は二十歳前後の数年間、不安で心配で、眠れない日もありました。悩みは自分自身についての些細なことでしたが、不安はとても大きなものでした。この時、私はイエス様を知りたいと心から願い、そして救われました。
 あれから十年以上経ち、いろいろなことがありましたが、あの時の苦しみ程大きなものはもうありません。どんな時にもイエス様から平安と休息があたえられるからです。すべてを造られた神様は生きていて、私のことを愛してくださっていることを知りました。 

 さて、このことをどう絵本にしたらいいんだろ…? と心配つづきの絵本づくりがはじまりました♪

​加藤潤子

この絵本をめくりながら
絵本制作者 武市八十雄

 「空の鳥をよく見なさい。」に始まり、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。」……「明日のことまで思い悩むな。その日の苦労は、その日だけで十分である。」に終わる。イエス様のこのたとえ話は、いつも心配性の私の救いになって来ました。(マタイによる福音書6章26~34節より)

 ところがある日、この種子が絵本作家、加藤さんのところにポッツン。あれあれ、そうしたら『しんぱい シンシン どうなった?』のこの絵本の芽吹きが始まりました。

 加藤さんからのおたより。イエス様のたとえ話が心配うさぎのシンシンと、やんちゃ 子猫のチャチャを主人公にした絵本になる滑り出し。

 「いつも しんぱい ときどき しんぱい やっぱり しんぱい しんぱい シンシン どうなった?/きょうの シンシン たのしかった しんぱい どこかへ いっちゃった/チャチャと いっしょに あそんだよ はなと いっしょ とりと いっしょ みんなと いっしょに おうちへ かえりました/あしたは どうなる シンシン しんぱい?/ないしょ/しんぱいしたって はじまらない/きょうのことは きょうのことだけ/おしまい」

 わーいうれしい、きっとこのたとえ話をされたイエス様も頷かれるかな。

 こうしてこの絵本作りは、正直なところ心配しながら進められましたが「しんぱい もうやめた!」絵本のおわりの作家のつぶやきが、天の声のように聞こえて安心の幕とじとなりました。

 もちろんこの絵本のバックグラウンドミュージックは「こ~んな せかいを つくられた かみさまは みんなのことが だいすきです」という愛の想いです。

 この絵本が、今流行りの心配伝染病への神様からのワクチンとなりますね、きっと。

※『にじのひろば』は、こどものせかいについている、おとうさま、おかあさま、先生がた向けの冊子です。絵本の作者による「絵本づくりの仕事場より」のほか、編集者の方などによる「この絵本をめくりながら」、エッセイ、詩などが綴られています。2020年度からは『ちいさなひろば』になっています。

絵本「しんぱい シンシン どうなった?」ご感想 〜 ありがとうございます!
久松英二 神父さま

2009年9月10日

至光社編集部にくださったお手紙より

 

 ものすごい暑さが続いておりますが、お変わりありませんか。さて、チャチャを乗せたシンシンが今にも表紙から飛び出さんばかりに元気よくこっちに向かって走ってくる表紙絵の「こどものせかい」9月号が本日届きました。「加藤潤子」という名を見つけ、「まいごのミーミ」、「たねまきだいすきランラン」というイエスのたとえを題材にした絵本作家として私が注目している先生の作品であることを知り、思わず「やったー」と声を上げました。しかし、待てよ、今回の作品は聖書と関係ないのかな、とはじめのうちは考えていました。ところが、その心配は無用でした。ちゃんと今回も「イエスのたとえの名コックさん」振りおもいっきり発揮されていて、今度は「さすがー!」と叫んでしまいました。

 今回の題材になっているのは、カトリックの賛美歌「ごらんよ 空のとり」でも知られている「空の鳥を見よ、野の花を見よ」というイエスの有名なたとえです。鳥が飛ぶのも、花が美しく咲くのもみな神のはからい。そういう神の摂理におのれをゆだねなさい、明日のことをあれこれ思い煩わないようにとイエスはおっしゃっているわけです。できるかどうかは別としても、イエスのおっしゃったことの意味は大人には理解できます。しかし、この真意をこどもの目線にまでおろすというか、いや高めると言ったほうがいいのかもしれませんが、とにかくこどもの世界に通用するメッセージに再翻訳するというのは至難の業です。しかし、加藤先生、やっぱりさすがですね。「意味」じゃなくて「感性」というかムードで理解させることに見事に成功しています。理屈じゃなく、気分でわからせる。これこそ、こどもの世界の通用ツールです。

 チャチャはまるで寅さんです(トラは確かにネコ科ではありますが)。なーーんにも気にせず、風の吹くまま気の向くまま、勝手気ままに生き、自然を愛し、人におせっかいを焼き、人に迷惑をかけることで人を幸せにする寅さん。チャチャは、フラッと母親から離れ、たまたま出会ったシンシンを喜ばせようとあちこち引きずり回し、挙句の果て、池におぼれて助けられる羽目になり、そのことでシンシンを幸せにする。まるで寅さんです。愛すべき存在です。それに引きずられるシンシンは心配性。いつもびくびく、おどおど。じれったいうさぎさん。でもシンシンの心配は大いなる勇気を生み出します。おぼれそうなチャチャを心配するシンシンは、自分の命も顧みずに必死に救助します。そして、ここが肝心なのですが、心配なしのチャチャと心配ありのシンシンが絶対絶命のピンチを乗り越えて、行き着くゴールは「ぼくたち いきてる? うん」そして大きな「よかった」なんですね。これが素晴らしい。生きている、いや生かされている。これこそ「かみさまはみんなのことがだいすきです」のしるしです。「思い煩うな」。これがイエスのメッセージです。しかし、イエスは思い煩う人を決して断罪しません。加藤先生はこのことを見越した上で、思い煩おうが思い煩わないであろうが、「かみさまはみんなのことがだいすきです」と高らかに宣言します。「みんなのことがだいすき」な神さまだからこそ、毎日毎日、毎分毎分、毎秒毎秒、すべてを配慮してくださっています。一生懸命配慮しています。だから、私たちは、声をそろえて「かみさま きょう いちにち ありがとう!」と言うのです。「ありがとう」と心から言うことができれば、この作品の一番最後の言葉「しんぱい もう やめた」は、必然です。裏表紙の「きょう いっぱい みをおとしたね」も、心憎い。神の配慮をさりげなく表現するこの心憎さ。やっぱり、加藤先生はイエスのたとえの達人もしくは鉄人です。